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OETR連携研究グループ事務局
東京大学生産技術研究所  北澤研究室
153-8505  東京都目黒区駒場4-6-1

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2013年2月に刊行された、
第1から第3回までの
OETRシンポジウムの成果をまとめた
報告書『美しく力づよい東北復興』より




伊東豊雄氏インタヴュー
釜石の先進性を活かした日本の新しいまちのモデルづくりをめざして
ききて=太田浩史+北澤大輔+黒崎明

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エネルギーによる再生を念頭においたまちづくり

太田浩史 | これまでのOETRシンポジウムでは、伊東さんには第2回、第3回と連続してご講演いただきました。本日はシンポジウム以外のOETRの活動状況をまずはご説明させていただきたいと思います。
じつは2012年の12月に黒崎さんは、岩手県の方々と釜石市の議員の方と、イングランドのニューキャッスルとEMECのあるスコットランドのオークニー諸島を訪ねていらっしゃるんですよね。

黒崎明 | 岩手県から依頼を受けて海洋エネルギーの導入可能性を探ってきたわけですが、エネルギーのポテンシャルなどの諸条件を考慮すると釜石が適地なのではないかということで固まりつつあるんです。そこで伊藤香織さんの講演★1で話題に上っていたニューキャッスルのまちとEMECに、岩手県の方たちと釜石市の議員の方と視察に行きました★2
ニューキャッスルから車で30分ほどの場所に、再生可能エネルギーの研究センターNaREC(The National Renewable Energy Centre)があるのですが、そこは元は造船所だったんです。洋上風力発電の研究に力を入れていて、実証実験を行なっています。研究センターの方に「釜石でもこういうことをやりたいんだ」と伝えると、「ぜひ提携しましょう」という話をしてくださる。また、彼らは「自分たちは、ニューキャッスルのまちのRegenerationに関するエネルギー分野の担当なんだ」という言い方をするんですね。

太田 | 研究センターの方たちの口からは、あたりまえのようにRegenerationという言葉が出てくるんです。エネルギーによる再生をつねに念頭にしたまちづくりのあり方が定着していると言えます。

黒崎 | 次に訪れたオークニーでは、スコットランド開発公社の方と市の役人の方が案内をしてくださったのですが、海洋エネルギーの話ではなく、都市開発や都市再生の話をされるんです。ほんとうに頻繁にRegenerationという言葉が出てくる。
この二つの都市では、エネルギーが都市再生に密接に関わっていると感じました。見学に同行された釜石市の市議会議員で、造船業を営んでいらっしゃる小鯖利弘さんが、こういうまちづくりのあり方はひじょうに参考になるとおっしゃっていましたね。
日本では都市再生とエネルギーがなかなか結びつかないですし、そもそも海洋エネルギーがエネルギー資源として認知されていない現状があります。こうした状況を変えていかなければならないと考えております。
再生可能エネルギーは地域エネルギーですから、地域の人たちがどのように自分たちの役に立つようにエネルギーをつくり、使っていくのかが重要になっていくのだと思います。まさに伊東さんの「みんなの家」がそうであるように、地域の方たちが自分たちの手で住みたいまちをつくらなければならない。そういった意味でわれわれだけが海洋エネルギーをつくるんだと盛り上がっても意味がありません。そこで、鹿野順一さんのグループにわれわれの考えをお伝えしました。また、釜石小学校や平田小学校の高学年を対象にワークショップを行ないました。

北澤大輔 | 小学校では海洋エネルギーについてのワークショップを行なったんです★3。風がどのように吹くのかとか、波がどのようにできるのかなど、根本的なところからお話をしてきました。

太田 | 2013年の)1月末にはEMECから人を招く予定ですね。

黒崎 | 釜石の市議会議員の方たちに対して講演を行なってもらう予定でいます。また、同じ日の夜には平田で、翌日には鵜住居でワークショップを行ないます。これらは鹿野さんの企画によるものです。

太田 | 産業をどうするのかということに関して、鹿野さんとわれわれとの考え方に共有する部分が大きかった。

黒崎 | 昨年(2012年)7月に鹿野さんにお会いしてわれわれの考えをお伝えしたんです。また、地域の方たちの協力も必要だともお話ししました。そのときに鹿野さんは、「僕はいいと思うけど、このプロジェクトが動き始めるのは何年も先の話ですよね。みんなに話をしてみるけど家もないようなたいへんな状況なので、共感を得られるかな」というような心配をされていたんです。ところがいざみなさんに話をしてみたら「けっこうおもしろいじゃない」という反応があったらしいんです。10月に改めて釜石商店街の「みんなの家」で地元のNPOの方たちにOETRの考えをお話ししたら、よい反応が返ってきたのでほっとしました。


観光で賑わいを取り戻す

黒崎 | 東京大学社会科学研究所で行なっている「希望学プロジェクト」では釜石が研究の対象になっており、書籍として刊行されています(東大社研+玄田有史+中村尚史編『希望学3 希望をつなぐ──釜石からみた地域社会の未来』東京大学出版会、2009)。釜石で産業を再生させるためには居住者の人口を増やさなければならず、なかなか難しい。だとすると外から人に来てもらうこと、つまり観光で賑わいを取り戻すのが肝要だろうと書かれています。どうしたら人を呼べるのかは書かれてはいませんが、いくつかのヒントを見出すことができます。花巻、遠野の奧に釜石はあり、地理的に遠いので、そこにわざわざ訪れるにはそれなりの存在感が必要です。遠野までは多くの観光客が訪れるのですが、釜石まではなかなかみなさん足を延ばさない。
釜石にもすばらしい場所はあるんです。例えば、釜石鉱山は申し込みをすると見学ができるのですが、内部の移動にはトロッコを使うんです。案内してくださった方は、曾祖父の代からここで働いているのだとおっしゃっていました。坑道の長さは1000キロ以上あるそうなんです。魅力的な場所なのですがじゅうぶんに観光に利用されているとは言えません。また、釜石広域ウィンドファームの風車が並ぶ和山高原から眺める太平洋はすばらしい。この風景も観光資源になりうるものだと思います。
これらにOETRの考える海洋エネルギーの実証実験施設群や研究センター、コンベンション・ホールなどが加わることで、アジアにおける再生可能エネルギー研究の拠点として内外から人を呼ぶことが可能でしょうし、さらにはこれらの施設群が建築家の設計によるものであれば、観光資源にもなりうると考えています。イメージCGアニメを作成して、岩手県、釜石市の方たち、漁協の方たちにも見ていただいています。
第3回のシンポジウムの際に会場にいらっしゃるみさなんに「海洋エネルギーの研究施設が観光資源になりうる」かどうか、シンポジウムの事前、事後とアンケートを取ったんです。事前で3分の2、事後でほぼ100パーセントが役に立つのではないかという回答でした。

伊東豊雄 | 実験的なものであれ、先進的な研究をする機関ができれば人を呼び込むことが可能かもしれませんね。

黒崎 | 観光庁などは、国際会議を開催することで、海外から人を多く招いて、観光や地域の活性化に活かしたいと考えているようです。

伊東 | 野田武則釜石市長が「かまいし未来のまちプロジェクト」を立ち上げられ、昨年の10月に記者発表が東京で行なわれました。今後釜石市が発注する復興に関わる建築──市営住宅、学校などの公共施設──は基本的に公募型のプロポーザル方式で設計者を選ぶことになったのです。われわれが働きかけてきた成果があったと言えます。
僕が審査委員長を務め、小野田泰明さん(建築計画学。東北大学教授)と遠藤新さん(都市計画。工学院大学准教授)、地元の人が加わって毎回選定します。つまり「くまもとアートポリス」で行なっている方式が採用されたのです。昨年の11月末に第1回目として、東部地区天神町のシンボリックな場所を敷地とした「災害復興公営住宅」の審査が行なわれ平田晃久さんの案が選ばれました。全体が集落のようなおもしろい案です。1月末には唐丹町の「災害復興公営住宅」の最終選考を行ないます[編註=Ma設計事務所の案が最優秀案として選ばれた]
このように次々と市主催のプロポーザルを行なうことになったのは釜石市のがんばりが大きい。公営住宅は通常、県の予算で県が主体となって発注します。そうなればマニュアルどおりのものしかつくることができません。そこで、県営住宅ももちろんありますが、市のシンボリックなものに関しては市営住宅にすることにしてくれたのです。僕らが提案していた「斜面の家」も来年度には実現していきたいということですし、唐丹と鵜住居の小中学校もプロポーザルが実施されるようです。
こうした建築が10くらい実現すると、それだけでも建築関係者は釜石を訪れるようになると思います。こうしたプロジェクトに海洋エネルギー関連の施設群がうまく組み合わされていくといいですね。

太田 | 釜石のまちの未来を考えたときにどんな産業をつくっていくのかは重要だと思うのですが、これまでどのような議論がなされてきたのでしょうか。

伊東 | 住むことや教育についての議論で精一杯で、なかなか産業のことまで議論はできていません。観光は僕も重要だと考えています。鵜住居の旅館、宝来館の女将、岩崎昭子さんはすごく夢をたくさんもっていて、鵜住居をグリーン・ツーリズムの拠点にしたいと盛んにおっしゃっています。自然とテクノロジーを組み合わせるなど、新しいライフスタイルのモデルをつくることができれば、復興という以上に、日本の新しいまちのモデルは地方にこそあるのだと示せると思います。それこそ最大の観光資源ではないでしょうか。

黒崎 | いずれにしても企業誘致ありきの方法で産業を興すことは難しいと思うんです。ニューキャッスルの例では、造船業がだめになって次の産業をどうするかというときに、文化産業とサーヴィス業に転換してまちをきれいにしていった。重工業と新しい産業では職種がかなり違いますから、重工業で働いていた人たちにとってはミスマッチだったわけです。ところが、まちがきれいになったことで住みたい人が増えたんです。その結果、企業誘致がしやすくなったんだそうです。いまでは日本企業も進出しています。当初目論んでいなかったことが起こり始めてきている。同じように、釜石も住みやすいまち、外から来た人たちがおもしろいと思えるようなまちをつくっていけば、おのずと企業もやってくるのではないかと思うんです。


釜石におけるまちづくりの課題

太田 | マスタープラン上の問題、産業誘致の問題など、伊東さんの考えていらっしゃる釜石におけるまちづくりの課題をお聞かせ願えますでしょうか。

伊東 | 釜石には小さな湾がたくさんあり、南北に小さな集落がいくつも並んでいます。こうした場所に関して、地元の建築家、釜石市復興プロジェクトチーム参与の岩間正行さん、塚本由晴さん(建築家。東京工業大学教授)をはじめとしたアーキエイドに参加しているような東京の建築家の方たちが、協力してさまざまな検討をしてくださっているようです。
まちの規模が大きく問題も大きい東部地区、鵜住居地区について、僕らがいろいろな提案をしてはいるのですが、明快なマスタープランはまだありません。
ただ、断片的には先ほどお話しした「かまいし未来のまちプロジェクト」が進んでいます。いま議論になっているのは、中番庫地区、新日鉄の所有する土地ですが、ここにイオンの大型店舗が出店されることが決定したことについてです。市としては歓迎しているようですが、出店後、既存の商店街がどうなるのか、僕はかなり心配しています。また、いままでの商店街の一角にある、市民文化会館が使えない状態になってしまっているので、修復するか、建て直しかという議論も行なわれているようですが、修復には膨大な資金が必要なので、イオンと向かい合うような場所に新たに建設しようという案もあるようです。イオンを訪れた人たちが、買い物だけで帰ってしまうのではなく、まちのシンボルとしての文化会館があれば、商店街にまで足を運んでくれるのではないかという考え方です。結論はまだ出ていないようです。また、市役所などの公的な施設に関しても市長は「かまいし未来のまちプロジェクト」で発注していきたいと考えているようです。
市民文化会館や市役所の計画が実現すれば、きれいなマスタープランではないにしても、まちの中心ができて、未来が少し見えてくるのではないかと期待しています。構想だけでも発表できれば、まちの人たちも元気が出るのではないでしょうか。
東部地区に関しては、新浜町の第二魚市場が復旧しているのですが、ここにも「みんなの家」をつくりたいと考えています。また、もっとまちに近い浜町の第一魚市場がどのように復興できるかは、大きなテーマだと思います。第一魚市場の背後を敷地として以前から「斜面の家」を提案していますが、市営住宅として実現する方向で動いています。漁師の方たちに喜んでもらえる立地だと思います。ただし依然として水産加工場をどのように復旧させるかは課題ですし、商店街の復旧にエネルギーを注いでいる鹿野さんは、魚市場と商店街と後ろの「斜面の家」を結ぶようなイヴェント・スペースをつくりたいという構想をもっておられて、すでに僕らがイメージを描いています。
鵜住居については、僕らが提案した最もシンボリックな場所に学校をつくることが決まったというような状況です。このエリアが復活の中心になるといいと考えています。小中学校は4月以降にはプロポーザルが行なわれるというようなスケジュールです。

太田 | 海洋エネルギーの実証実験施設をつくろうと考えたときに、地下トンネルがありインフラの供給路として活かせること、あるいは岩手沿岸南部クリーンセンターがあるなどの諸条件を考えると平田が適切な場所であり、ここが再生可能エネルギー生産の場として、新しいモデル地区になればいいのではないかと考えています。

黒崎 | 平田の新日鉄の埋め立て地には、岩手県の水産技術センターがあります。その隣には、岩手大学と東京海洋大学と北里大学の3大学が共同で運用する海洋研究センターができる予定です。このことを考えるとエネルギーだけでなく、海洋に関する研究施設が集まるかたちになります。

伊東 | 東部地区があって鵜住居があるなかで、平田地区にもまちづくりの大きな核となる要素が生まれると位置的にバランスがいいですね。

太田 | 鹿野さんがおっしゃっていて印象に残っているのが、釜石には大学がないので高校を出たら、仙台や東京に行ってしまうという話でした。専門教育を行なうことができる学校が少ない。ですからいきなり大学をつくるのは難しいでしょうから、例えば平田にある岩手大学の組織や、釜石の隣、大槌町にある東京大学大気海洋研究所、あるいはOETRのエネルギーセンターでもよいのですが、そういった機関に専門教育を行なう講座があり、大学や大学院を出た後に釜石に戻って研究を続けられればよいと思うんです。さらにはその研究機関で育った人が地元に留まり産業の発展に寄与できるような教育環境が必要です。

伊東 | ものづくりの学校ができるといいですね。

太田 | タービンのメインテナンスを学ぶことができるなど、産業を支えるための教育機関や研究機関を少しずつつくっていくのが大事なのではないかと思います。

伊東 | 若い人が都市部へ出て行ってしまうと言うけれど、大都市にはそんなに魅力がなくなってきて、むしろこれからは地方のほうが力をもつ時代になっていくのではないかと感じています。そういうやる気のある人たちをうまく受け入れられるような仕組みが釜石にもできるといい。


住まい手の考えを再構成する建築へ

太田 | 具体的な計画ができあがっていくなかで、まちの方たちの反応はいかがでしょうか。

伊東 | 天神町の「災害復興公営住宅」の審査を行なったときは、数十人の方たちが傍聴に来ていました。ここには幼稚園と保育園が一体になったこども園と「みんなの家」のような集会場が併設されます。園長さんや市の担当の方も参加されていっしょに審査を行ないました。まちの人たちの反応はすごくいいですよ。1年半いろいろ僕らが話をしてきた効果もあると思うのですが、釜石の人たちは前向きですね。平田さんの案に対しては、懸念の声がかなり上がるのではないかと思っていたのですが、実際は、いわゆるオーソドックスな集合住宅ではなく、まちのひとがむしろこれがいいと平田さんの案を積極的に選んだくらいでした。もともとなにか新しいことをやろうという先進性が釜石の人たちにはあるのだと思います。

太田 | これまで伊東さんは「くまもとアートポリス」で建築をつくっていくにあたってワークショップを開いていらっしゃいますし、また、「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」(愛媛県)でもこどもワークショップをたくさん手がけていらっしゃいます。改めてお訊きするかたちになるのですが、ワークショップがなぜ大事だとお考えなのでしょうか。

伊東 | 震災後に考えたのですが、「くまもとアートポリス」で僕らががんばってやろうとしてきたことは、ちょっと違っていたのではないかということです。よい建築に対する考え方が変わりました。熊本に東京の若い建築家が訪れて、建築をつくったときに、熊本の人たちにはなぜこれがいいのかが、なかなか通じなかった。僕らは「この建築は美しいでしょう。いいでしょう」と言ってがんばってきたのは確かなのですが、いつもギャップが感じられた。
ところが、熊本からの援助でつくられた宮城野区の「みんなの家」が完成したときには、熊本の人たちが本当に喜んでくれた。2012年7月の豪雨で阿蘇市に大きな被害が出た際に、宮城野区の「みんなの家」を参考にした木造の仮設住宅が42戸、その後「みんなの家」が2軒できました。熊本の人たちの反応を見ていると、満足していただいていることがよくわかりました。
1月末にまたひとつ宮城県東松島市に「こどものみんなの家」がオープンする予定です。いままでつくった「みんなの家」の利用者の方たちが、新しく「みんなの家」ができるとオープニングに来てくださるので、しだいに各地の「みんなの家」相互のネットワークができつつあります。「こどものみんなの家」で東北では6軒目となるのですが、さらに数軒の「みんなの家」が現在動いています。釜石市でつくられる「災害復興公営住宅」などにも「みんなの家」的な集会場ができますし、阿蘇市のものを含めて、「みんなの家」はさまざまなかたちで広がりを見せ、新しいタイプの公共建築の原点が生まれつつあると言えます。

太田 | みなさんが「みんなの家」を運営していくことでさまざまなノウハウが蓄積されていっているようですね。

伊東 | ですから、「かまいし未来のまちプロジェクト」では、いままで僕らが考えてきた前衛的な建築とか、これが新しい建築だと考えてきたことはいったん捨てて、言葉は悪いのですが、どうやったら近代以前のスタイルで住めるのかを考えていきたい。
近代主義の住宅や集合住宅で考えてきたことよりも前に遡ったときに、逆に新しいことが見えてくるような気がします。
平田さんの「災害復興公営住宅」での提案も、ほとんど集落のような集合住宅で、戦後の公団住宅とはまったく違った集住体です。50戸ほどの規模で3、4階の高さの建物ですが、前面の通りに向かって開かれお互いに顔を合わせながら住むようなスタイルです。お年寄りは喜んでくれるだろうけれど若い人はためらうかもしれないとは思っていたのですが、かなり多くの若い人たちもいいですねと言ってくれました。風が抜けるとか、土間から入っていくとか、近代以前のスタイルの住まい方をどのように建築として再構成できるのか、徹底してやりたいと考えているところです。
プロジェクトが始まった当初から「くまもとアートポリス」では、ヨーロッパやアメリカの現代思想に裏打ちされた「最先端」の建築を展開しようとしていました。これからはむしろ地方の方たちに対して、「あなたたちの考えていた建築を再構成するとこういうものになるのではないですか」と、地方から発信していきたいですし、釜石でもそれができたらすばらしいと考えているのです。

太田 | すごく創造的な復興になりますね。

伊東 | それが、エネルギーや産業の問題といっしょに組み合わされて発信できていけばすばらしいと思います。
これまで日本人は、釜石のような寒いところでも自然と一体になって暮らしてきたわけですから、近代以前の暮らし方が身体のなかに刻み込まれているはずです。これまでは近代合理主義的な住宅に閉じこめられてきたのですが、どこかでこの状態から解放することができたらきっと怒濤のように変わっていくのではないでしょうか。

[2013年1月15日、伊東豊雄建築設計事務所にて]


初出=『OETR最終報告書  美しく力づよい東北復興』(東京大学生産技術研究所、2013)。




★1──伊藤香織「シビックプライド──まちの未来をつくる自負」(『OETR最終報告書  美しく力づよい東北復興』([東京大学生産技術研究所、2013]、40頁)。
★2──黒崎明「シビックプライドと海洋エネルギーの現地訪問調査──ニューキャッスル『NaREC』とオークニー『EMEC』」(『OETR最終報告書  美しく力づよい東北復興』([東京大学生産技術研究所、2013]、134頁)。
★3──北澤大輔+黒崎明「まちの将来につなげる」(『OETR最終報告書  美しく力づよい東北復興』([東京大学生産技術研究所、2013]、14頁)。

 

 

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